Oct 05, 2009

素敵なwebデザイナー

webデザイナーは素敵なことですよね。インターネットという資料も無味乾燥なものではなく、非常に可愛らしく、読みやすく、馴染みの良い空間に与えている、非常に素晴らしいことです。インターネットがより良くなっているのは、やはりwebデザイナーの存在が大きく、その確かな作品は素敵です。
最近の会社のホームページを作成しようとする市販のホームページ作成ソフトを使用して、毎日悪戦苦闘していました。しかし、思うようなホームページができずWeb制作の難しさにはまっています。ヌンヘド会社のホームページなので、作ることができないというわけにはいかないので、最近のWeb制作教室に通いながら、少しずつですが、ホームページを作っています。
 大相撲を揺るがす八百長汚染は、いったいどこまで広がるのだろうか。すでに八百長への関与を認めている竹縄親方(35)=元前頭春日錦=が、「約40人の力士が八百長に関わっていた」と関係者に話していることが分かった。

 竹縄親方は八百長メールに名前があがった疑惑の14人のうちの1人で、十両千代白鵬、十両清瀬海、三段目恵那司とともに、特別調査委員会により「関与した」と認定されている。

 ただ関与を認めた直後から、「なぜ自分たちだけ責められるのか」と不満を漏らし、親族に「このままでは引き下がらねぇ。俺も悪いけど八百長をしている奴はいっぱいいる。何十人もいる」と話すなど、八百長仲間の暴露を予告していた。

 2日付の毎日新聞によると、竹縄親方は特別調査委に対し、現役三役力士の実名をあげて告発。西前頭5枚目だった2006年初場所で、現役三役(大関、関脇、小結)の付け人から対戦前日に初めて八百長を持ちかけられたが断ったことなどを話しているという。

 同場所で、竹縄親方(春日錦)の現役三役(2月28日に発表された新序列による)との対戦は、初日に安馬(現大関日馬富士)に勝ち、10日目に琴欧洲(現大関)に負け、11日目に豊ノ島(現小結)に負け、13日目に稀勢の里(現関脇)に負け?と4番ある。このうちのどの力士と取組前に“やり取り”があったのだろうか?

 今回の八百長問題では、特別調査委が14人を疑惑ありとして調査中。先月には、大麻取締法違反で逮捕されて08年に日本相撲協会から解雇されたロシア人の元幕内若ノ鵬が、21人の力士と八百長を行ったと週刊誌上で実名をあげて暴露。魁皇、琴欧洲、琴光喜、千代大海の大関陣ほか、関脇琴奨菊ら幕内上位力士も含まれており注目された。竹縄親方の告発で、真相究明に難航している八百長問題の波紋はさらに広がりそうだ。

 1日には八百長問題の根絶を目指す日本相撲協会の再発防止委員会の委員に任命された芝田山親方(元横綱大乃国)が私見を披露。(1)場所中は力士から携帯没収(2)取組は当日発表(3)場所中は付け人のパンツの色を東西で別々の色に統一して支度部屋の行き来をチェック?などのユニークな改革案を提言した。しかし、今後も続々と八百長を暴露する面々が現れる可能性は高く、八百長汚染の拡大に歯止めはかかりそうにない。

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 プロ野球の戦後初の外国人選手として巨人と中日でプレーし、中日では監督も務めた与那嶺要(よなみね・かなめ)氏が2月28日(日本時間1日)、前立腺がんのため米ハワイ州ホノルル市内で死去した。85歳。ハワイ・マウイ島出身。葬儀・告別式はホノルル市内で行うが、日時は未定。東京都内でもお別れ会を開く予定という。

 「ウォーリー」と呼ばれ、誰からも愛されたハワイ日系2世の与那嶺要氏。日本球界が誇る、永遠の国民的スーパースターONにも大きな影響を与えた人だった。ユニホームを着ていない時は、温厚な人柄でいつも笑顔を絶やさない。が、いったんグラウンドへ出ると、闘志をむき出しにする。

 現役時代も監督、コーチ時代もいつも相手に対し、全力で体当たりしていく姿勢は変わらなかった。同時に、常にファン、裏方さんへの感謝を忘れない人だった。ソフトバンク・王貞治球団会長が、こう述懐する。

 「少年時代、後楽園球場で巨人の選手が誰もサインをしてくれなかったのに、ウォーリーだけがサインしてくれた。その思い出が、ファンに対してはできる限りサインをするという自分の姿勢になっているのは事実ですよ。僕が巨人に入団した時も、現役最後の2年間のウォーリーと一緒だったが、野手のグラブをめがけて滑り込む、あのアメフット仕込みのスライディングを教えてもらった。巨人だけでなく、中日の監督、ロッテ、南海、西武、日本ハムのコーチを務め、いろんな球団がお世話になっている」

 巨人・長嶋茂雄終身名誉監督は、「あの激しいスライディングなどアメリカ野球を初めて日本へ導入したのは、ウォーリーだ。自分も大きな影響を受けた。ウォーリーの功績を忘れてはいけない」と、事あるごとに強調している。1974年、中日監督として巨人のV10を阻止した与那嶺氏を、第1次長嶋政権最終年の1980年に打撃コーチとして招いている。2人には強い絆がある。

 当時、巨人担当記者をしていたが、「ウォーリーは、本当に心底野球が好きだし、やはり大リーグ流なんだな」と痛感した。というのも、今は監督経験者がコーチをやることは珍しくない。が、あの頃は一度監督をやった人、しかも優勝監督がコーチをやるケースはプライドが許さないのか、ほとんどなかった。

 ビジネスライクな大リーグではごく当たり前のことでも、メンツを重んじる日本球界では監督からコーチになるのは抵抗があったのだろう。が、巨人OBの与那嶺氏はライバル球団の中日監督として巨人のV9を阻止するが、長嶋監督に請われて巨人の打撃コーチになる。必要とされれば、他のチームでも大好きな野球のために喜んで体を張る。

 本当のプロフェッショナルだなとしみじみと思う。今回の訃報で一番落胆しているのは、大きな影響を受けたONだろう。が、与那嶺氏の魂を後輩たちに語り継いでいってほしい。それが与那嶺氏への最高の供養になる。(夕刊フジ編集委員・江尻良文)

Posted at 01:16 in Mayor | WriteBacks (0) | Edit
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